私たちの集まり
当集会のサイトへようこそおいでくださいました。 私たちは聖書のことばに基づいて、イエス・キリストの御名(権威)のもとに集うクリスチャンの集まりです。 この集まりは今から2000年前、イエス・キリストが十字架にかかった後に始まったものであり長い歴史を持ちます。当時のクリスチャンたちが記した集会の姿と教えに従って集まり、イエス・キリストの福音を述べ伝えております。 この「福音」とはイエス・キリストが私たちに与えてくださった「罪からくる永遠のさばきからの救い」であり、永遠のいのちを得て天国へ行くための私たち全ての人間への「良い知らせ」です。この福音を信じ受け入れて頂きたいという思いによって活動を行っております。 当サイトをご覧になり、私たちの集まりについて理解を深め、是非集会へお越しくださいますようご案内いたします。
よくある質問
どういうことをしているのですか?
毎週金曜日、日曜日の伝道集会では聖書の中から唯一の神の福音をお話しております。 時間は約1時間程度で、講演のような形で行っております。聖書を開き、その聖書の中に記されているイエス・キリストの語ったことや行ったこと、特に全ての人の罪からの救いのために行われた十字架についてお話しております。
どうして集会というのですか?
一般的にはクリスチャンの集まる所は「教会」と呼ばれております。 しかし、私たちは聖書に記されている初期(紀元後40年頃)のクリスチャンたちの集まりを指すことばとして使われたギリシャ語の「エクレシア」(日本語で「集まり」)ということばをそのまま使用して「集会」と呼ぶこととしています。このほうが聖書の教えに沿っているからです。
教会とはどう違うのですか?
私たちの集まりで他のいわゆる「教会」と呼ばれているものと決定的に違うことは、「牧師」がいないことです。 実は「牧師」についての教えは聖書にはないのです。集会の責任を持つもの、そしてクリスチャンに対して聖書の教えをしたり、一般の方に福音を伝えたりすることは、特定の立場(職位)の人が学校に行って資格を得た一人の人によって行うべきではなく、聖書を純粋に読んで救われたクリスチャン同士が支えあって行うことが正しいと聖書は語っています。私たちはその教えに従って、牧師を立てず、集会を行っております。 もう一つの違いは、組織化されていないことです。 一般の「教会」は上部組織などがあり、それぞれの「教区」や「地方」に組織的に牧師を配置し管理しています。しかし、聖書にはそのような教えはなく、集会はそれぞれ独立したものであり、それぞれが主体的に活動するようにすすめています。しかしだからといって私たちの集まりが駿河にしかないかというとそうではなく、同じ考えを持った集会が全国に多数あり、そのような集会と個人的に、あるいは集会同士でその独立性を尊重しながら交流を行っています。
集会への出席するにはお金が必要ですか?
集会として活動していくには確かにお金は必要です。 しかし、その活動のお金は、心からの理解と行動、すなわち「信仰」に基づいて集められるものでなければ全く意味がなく、一般の方(未信者)の方々からお金を受け取ることは聖書の教えにかなっておりません。従って、初めて出席する方や、未信者の方からお金を頂くことは一切ありませんし、むしろそのような申し出があった場合はお断りをしております。
病気を治してくれますか?
病気は人に悲しみをもたらすもので、是非治りたいという思いは当然のことと思います。 しかし、聖書では、病気よりもっと恐ろしい「死」の問題を説いており、この解決を提示しています。病気が治っても、「死」の問題がある限り、人間は本当の意味で幸せにはなれないからです。確かに聖書のない初期の集会時代において、このことを証しするために病気を治す奇蹟が行われいましたが、今は聖書をとおしてれらのことを知り、信仰に導かれることができます。そしてこの聖書をとおして得られる信仰はその人に病気に打ち勝つ心と、そして永遠の救いをもたらします。